KIRARI MACHINOHITO

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【洋画家】和田 健一(わだ けんいち)

 今回は東近江市垣見町の共同アトリエ「SOIL」にて創作活動をされている、洋画家の和田健一さんをご紹介します。大工請負業の息子として生まれられた和田さんは、父親の大工仕事の傍らで遊ぶことが好きでした。魔法の様に出てくる黄金色の薄いカンナクズ。仕事が終わるたびに刃物を研ぎ、丁寧に道具をしまい、仕事場を掃除して明日の準備をする姿が、今では親から受け継いだ大切な習慣だと言われます。大工仕事と同様に好きだったのが絵を描くこと。小学校の頃に参加した写生大会では数多くの賞をもらい、その度に褒められる喜び、認められた嬉しさが励みとなり自信につながったようです。

高校1年生の時に絵を描くことを決心され、その時から、アルバイトの稼ぎで美術の予備校に通われました。「小さい頃から唯一自分を表現できる、存在を認められるものが絵でしたから、学業とアルバイトと予備校の日々は大変でしたがやり切れたのでしょうね。当時の美術系の大学は実技の得点が高かったため、デッサンを教えてもらわなければとても夢がかなわないと無我夢中でした」と振り返られます。大学を卒業後、教師として美術を教える立場となられ、今日まで40年ほど教鞭をとられながら、絵画の制作活動を続けられています。和田さんの作品は、心象風景の中に写実的なものが描かれる、シュールリアリズムの具象画。この作品は2005年のJR福知山線脱線事故の時に描かれたもので、亡くなった教え子へのレクイエムのつもりで描かれたと言われます。「自分の中にある思いを現実と組合わせて表現していますから、その時々の心の葛藤や声が絵となっています。無意識に描いたのですが、祭壇の様な表現になっていると言う人もありました」と話されます。大型の作品が多いのは、展覧会出展を意識されているからだそうで、製作期間はおよそ半年くらい。ミリ単位の角度で修正したり、描いて描いて、もうこれ以上筆を入れられない瞬間が完成なのだとか。その時からその絵は、しばらく見たくない心境になられると言われます。精魂尽きるというやつでしょうね。 2年前に、びわこ学院大学の講師として滋賀県に来られました。「和田家のルーツは相州鎌倉と江州甲賀にあると聞いていたので、これも先祖の導きだとの心境で来たんですよ。先日も懐かしい風景や匂いに誘われ、蒲生野の風景を何十年振りにスケッチとして描きました」と笑われます。学校では保育士を目指す学生に、幼児の造形や児童の図画工作の取組みと、その意義と大切なことを教えておられるとか。「実は2年間だけですが、子ども園の園長をした経験があるんです。だから指導者を目指している学生に、子どもたちをしっかり守れる人となること。遊ぶ活動を通して、子どもたちが心と体を健全に成長させられる様に、教員としてしっかり伝えておきたいんです」と未来について話されました。洋画家として和田さんの挑戦は、何時までも満足となることはない様です。内側からどんどんと湧いてくる思いや声は、描き終えるとまた描きたくなる欲求となり、津波の様に続いていくのだと感じました。益々のご活躍をお祈りします。

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