KIRARI MACHINOHITO

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【木工・彫刻家】 小椋 昭二(おぐら しょうじ)

今回は東近江市君ケ畑町(旧永源寺)にお住まいの木地師、小椋昭二さんをご紹介します。 

地元で製材所を営むお父さんと一緒に、お兄さんと三人で事業をされていた小椋さん。山の木を伐採して山から下し、作業場に運んで製材。その後、倉庫で乾燥させ、麓の街の市場やお客様に売りに行かれます。
おまけに伐採で山に入れば、1~2年は同じ山で仕事をするという、気の遠くなる様な重労働をされていました。

 

40才を過ぎた頃、仕事の暇ができたため、趣味でロクロを始めようと考えられました。
「子供の頃から大工道具でおもちゃを作ったりしてたんで、刃物は遊び道具でした。

 

それと木地師の発祥の地だから…、との気持ちもあったと思います」と小椋さんは話されます。釣り好きが高じて、君ケ畑で空家を購入された隣人が、機械工具の会社に勤められていたのも幸いして、まずはロクロの機械を購入されました。木地師の修行に愛知県足助町(現豊田市)へ出向かれました。厳しい修行と思いきや、ロクロを回して木地作業を習ったのはわずか2時間程度。日を改めて、刃物内を半日習われただけ。エッー本当ですか。

 

その時に作られた器がこれだそうです。時間がなかったと言われるけれど、なかなかどうしてさすがです。

 

「始めたのが遅いから、どんどんやらないと追い付かない。器用な人なら分からないが、私は不器用なんで落着かないとできない性分だから、あきらめずに根気よく、何とかかじりついたらできると思ってやってきた」話されます。

 

20年前に木地師として仕事を始められた際には、君ケ畑で200年振りの木地師だったそうです。「君ケ畑や蛭谷にいた木地師は、山の木が無くなったため全国各地に散らばったんです。
200年という歳月は、木地師発祥の地というプレッシャーがあったんでしょうね。私の場合は趣味から入ったんで、余り感じませんでしたが「君ケ畑で仕事するなら良いかげんな仕事はするな」と言われた事もあります」と小椋さんは話されます。

 

材料は岐阜の木材市場で購入されます。ケヤキとトチが主流ですが、柄や木目の面白い木を探されますから、樹種にはこだわられません。乾燥させるため、この材料を5年間工房で保管され、注文に応じて制作されます。制作過程も表を仕上げたら、ソリが出るため最低1日以上は工程を止められるというこだわり。「木によって仕上がりの良し悪しが違うけど、削り方による形やデザインで見せることはしたくない。木の最高のモノを見せる様に作っている。だから値段は木の価値で決めているんです」とポリシーを語られます。菓子鉢とお盆のセットを100とか大きな仕事が入ったり、4~6という家族分の注文もあったりする様ですが…。

 

「一品一品良いモノを作る仕事がベストだけど、注文のお客さんの声を断ることは絶対にしません」と、キッパリと小椋さん。インターネット販売も委託店販売もされていないので、お客様は口コミと工房来場のみなんだとか。

 

JRびわこ線の能登川駅から車で1時間余り、山が迫り狭い空の谷間の里は『木地師発祥の地』として、今なおブランドなんでしょうね。

 

私が買った名刺入れ。この木目柄がとても気に入っています。涼を求めて夏のドライブがてら『ろくろ工房 君杢(きみもく)』を訪れて下さい。

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