D-time

Dタイム

ありがとうマンが贈る 
〜心に残るありがとう〜 話

2024.01.01

「父の記憶」

俺の父は、俺が6歳の時に死んでしまった。
ガンだった。
確か亡くなった当時の年齢は34歳だったと思う。
今思えばかなりの早死にだった。
呆気なく死んでしまったこともあるが、自分がまだ6歳と幼かったこともあり、父の記憶はあまりなかった。
だから父のイメージは、俺の中ではあまり良いものではなかった。
どちらかと言えば怖いという印象しかなかった。
父の記憶といえば、一つだけ鮮明に残っているものがあった。
それはラーメン屋の中での思い出だった。
これも詳しくは覚えていないが、父はラーメンの大盛りを一つだけ頼み、取り分け皿を一枚もらい、そこに俺の分のラーメンを入れてくれた。
多分、当時5歳くらいだった俺にとって取り分け皿の分量のラーメンでも結構な量だったのだろう。
食べるのに時間がかかった。
一生懸命食べたとは思うが、やはりそれなりの時間がかかってしまったと思う。
ふと見ると、父が俺のことを見ていた。
じっと見つめていた。
怖い顔をして睨んでいたような記憶がある。
「早く食え」と急かされているようで、嫌で怖い思い出だった。
ちらちら父の視線を盗み見たが、父はいつまで経っても俺を睨んでいた。
「何でそんなに俺のこと睨むんや・・・」と思ったが、父の表情が何となく怖くて、再びラーメンに目を落とすと必死で食べた。
それが数少ない父の記憶だった。
そんな俺も母に女手一つで育てられ、30歳になった頃に結婚した。
そして男の子を授かった。
とても可愛く、目の中に入れても痛くないとはこのことかと初めて知った。
そして息子も先日、幼稚園に入る歳になった。
だが、仕事が忙しいこともあり満足に遊べてやっていない。
だから先週、日頃の罪滅ぼしにと息子を連れて2人で出かけた。
そして昼飯時になり腹が減ったので何が食いたいかと尋ねたら、息子は「スパゲティが食べたい」と言った。
息子はまだ食が細いので、スパゲッティの大盛りを頼み、2人でシェアして食べた。
先に食べ終えた俺は、頑張って食べている息子がとても愛しくずっと眺めていた。
そんな俺の視線に気付いたのか、息子はちらちらと俺の方を見ていた。
俺も多少気恥ずかしくもあり、仏頂面で見て見ぬ振りをしつつ、また息子が食べる姿を見ていた。
仕事が忙しく、普段あまり会話もない俺と息子だが、だからこそ俺は息子がとても愛しく思えた。
気が付けば、いつまでも見つめていたいと感じていた。
あの時の親父の視線の意味が、今になってようやく理解できた。
父さん、ありがとう。

私も同じような体験があります。
「なんて、厳しいことばかり言うのやろ!」「なんで、私ばかりに言うのやろ!」と、反抗していましたが、今はこの言葉を言われる私です。
ここの解釈は、私の為に一生懸命に指導してくださったんだ!嫌なことを私の成長のためにあえて言って下さったんだ!と捉えていけばいいのですよね。

愛を与えて下さったことに気付くのは、自分がその立場になった時に始めて気づく・・・。
「ありがとうございます」と何事にも言える人格者になっていきましょう!

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