ありがとうマンが贈る
〜心に残るありがとう〜 話
2025.08.22
先日、 友人からもらった本の中に、「愛に勝るものなし!」と心から感動したエピソードに出会いました。今回はDタイムで共有したい!と強く想いました。もう時間がもったいない!!!
これから、シェアさせていただきます。では、始まり、始まり・・・
「君の手紙、僕の手紙」
先日、小学5年生の娘が何かを書いているのを見つけた。それは、亡き妻への手紙だった。
「ちょっと貸して」
そう言って、そっと中身を見せてもらった。
まだ拙い文字だったけれど、そこには妻への想いが真っ直ぐに綴られていた。
私は、娘に話してやりたくなった。少しくらい、昔の話をしても――いいよな。
妻と出会ったのは、真夏の午後だった。
人づきあいが得意ではなかった私は、外出のときいつも音楽プレイヤーを持ち歩いていた。駅など人混みの中では、音楽だけが心を守ってくれた。
あの日もきっと、私はイヤホン越しに音を聞いていたと思う。
その日は、妹の誕生日プレゼントを買いに行く途中だった。ふと空を見ながら歩いていたら、人とぶつかった。
相手は、同い年くらいの女の子だった。
驚いた表情のまま立ち尽くす彼女に、
「大丈夫ですか?」
そう声をかけ、手を差し出した。それが、妻との出会いだった。
彼女は道に迷っていたらしい。気づけば、私はすっかり一目惚れしていた。
道案内を終えた帰り際、勇気を出して連絡先を聞いた。そこから少しずつ、ふたりの関係が始まった。メールを交わし、何度か会い、気づけば一緒にいる時間が当たり前になっていた。
出会ってから二ヶ月ほど経ったある日、彼女の方から告白された。
「私、あなたのこと好きになっちゃったみたい」
言葉にできないほど嬉しかった。
それからは、週末がくるのが待ち遠しくてたまらなかった。ふたりで出かけたり、会えない日は何通もメールを交わした。
高校生活を終え、私たちは一緒に同じ大学へ進む約束をした。正直なところ、私の学力では難しいと先生に言われていた。でも、彼女の願いを叶えたくて、必死で勉強した。努力の末、合格通知を受け取ったとき、私たちは抱き合って泣いた。あの時の彼女の笑顔が、今も忘れられない。
そして、二十歳を迎えたある日。彼女から突然言われた。
「別れよう」
言葉の意味がわからなかった。混乱したまま、私は彼女の家を訪ねた。リビングには、彼女とご両親がいた。
彼女は静かに語り出した。
「私、持病があるの。二十五歳まで生きられるかどうかわからないの」
「そんな私と一緒にいたら、あなたに迷惑をかけてしまう」
だから、身を引こうと思ったと。
涙が込み上げた。でも、その場で泣いたら、すべてが終わってしまいそうだった。私はこらえて笑顔を作り、両親に頭を下げた。
「僕は、彼女にたくさんの笑顔をもらいました」
「どうか、彼女と最後まで一緒にいさせてください」
当然、反対された。
「若いんだから、後悔する前に諦めろ」
そう言われた。でも、諦められるはずがなかった。
沈黙のあと、彼女が笑って言った。
「私、そういうところに惚れたのかも」
そして、ご両親に向き直った。
「私も、彼と一緒に最後までいたい」
父と母は深いため息をつきながら、
「……好きにしなさい」
そう言ってくれた。
私たちは、二十一歳で結婚した。新しい暮らしは、ささやかだけど温かかった。仕事に出る私を、妻はいつも優しく送り出してくれた。
まもなくして、私たちは新しい命を授かった。産婦人科で心音を聞いたとき、私たちは泣きながら抱き合った。二十三歳の春、娘が生まれた。それは、かけがえのない宝物だった。
けれど、妻はその頃から、時々奇妙なことを口にするようになった。娘を撫でながら、微笑んでこう言った。
「この子は、私が生きていた証。○○、この子のこと、お願いね」
「何言ってんだよ」
私は笑ってごまかしたけど、どこか胸がざわついた。
二十四歳のある日、妻は大量のビデオテープを買ってきた。
「娘に残すテープよ」
彼女はそう言って、静かに笑った。私は、何も言えなかった。でも、その言葉の意味を、ようやく理解し始めていた。
妻は、合計20本のテープを残した。
娘が成長したとき、少しずつ見るようにと託されたものだった。
やがて、その日が来た。妻は突然倒れ、病院に搬送された。医師からは、こう言われた。
「残された時間は、そう長くありません。できるだけ会話をしてあげてください」
私は一時も離れず、ずっと手を握っていた。
妻がゆっくりと目を開けた。その顔は、穏やかに微笑んでいた。
「どうした? こんなときに、そんなに幸せそうな顔して」
そう尋ねると、妻はこう言った。
「だって……○○は泣き虫だから。私が笑ってお別れしないと、きっとずっと泣いちゃうでしょ?」
私は涙をこらえきれなかった。声は出さずに、ただ涙を流した。妻は、くすっと笑って言った。
「やっぱり、泣き虫だね」
彼女の手は、少しずつ力を失っていった。
「○○、私、幸せだった。あの時、結婚してくれて……ありがとう」
それが、妻の最期の言葉だった。
葬儀が終わり、部屋を整理していたとき、封筒が見つかった。中には、私宛の手紙が入っていた。
『○○へ
元気にしてる?これを見てる頃、私はもう天国にいると思います。○○は、私にたくさん優しくしてくれたね。驚かされることもあったけど、毎日がすごく楽しかった。
娘が生まれて、あなたが泣いて喜んでくれたとき、私、心から“産んでよかった”と思った。
あの子、元気にしてる?私がいなくても、ちゃんと育ててね。前にも言ったけど、あの子は私が生きていた証なの。だから、よろしくね。本当はもっと書きたいことがたくさんあるけど、ここで終わりにします。
私はいないけど、これからもずっと、あなたたちのことを見守っています。○○は泣き虫だけど、あの子の前では男らしくしてね?もう泣かないって、約束だよ?
私は、○○のことをずっと愛しています。
妻より』
手紙には、いくつも涙の跡があった。あれほど笑っていた妻も、本当は泣いていたんだ。その優しさに触れ、私は再び泣き崩れた。お前も、泣き虫じゃないか――
そう思いながら、手紙を抱きしめた。
それから、七年が経った。娘は今、小学五年生になった。妻に似て、優しい子に育っている。今日、妻への手紙を書いていた娘を見て、私も真似してみることにした。
『最愛の妻へ
今日、娘があなたに手紙を書いていました。その姿を見て、俺も久しぶりにあなたへ手紙を書きたくなりました。あなたが残してくれた愛は、今も俺たちを包んでいます。娘は、あなたにそっくりで、元気に笑っています。仕事は忙しいけれど、あの子と過ごす日々が、俺の支えになっています。
俺に、あの子に、たくさんの幸せをくれて、本当にありがとう。
今もずっと、あなたを愛しています。俺たちのこれからの幸せを、空から見守っていてください。
写真を一枚、同封します。
今日、娘とふたりで撮った写真です。どうか見て、また笑ってください。俺はもう、泣き虫じゃなくなったよ。これも、全部あなたのおかげだよ。
ありがとう』
心から愛した人へ、そしてその人と私をつないでくれた娘へ。
今、ようやく――感謝の言葉を、言葉にできた気がする。