ありがとうマンが贈る
〜心に残るありがとう〜 話
2025.08.22
先日、 「命を精一杯生きる」という言葉に考えることがありました。ある本に余命3ヶ月と告げられたが、1年8ヵ月も生きたお母さんのエピソードが掲載されていました。「子供のために生きたい」という強い想いがお母さんの寿命を長くなったと感じられる出来事です。お母さんの作ったおお弁当が嬉しくて嬉しくて・・・、でも「嬉しいのに切なくて・・・」この気持ちに触れると涙が溢れてきました。皆さんにも是非、シェアさせていただきます。では、始まり、始まり・・・。
「余命3ヶ月の母のおむすび」
僕がかつて看取った患者さんに、スキルス胃がんを患っていた一人の女性がいました。余命3ヶ月と診断され、彼女はある病院の緩和ケア病棟に入院してきました。
ある日の午後、病室のベランダで一緒にお茶を飲みながら話していたときのこと。彼女はふと、こう口にしたのです。
「先生、助からないのは分かっています。だけど……少しだけ長生きさせてください」
まだ42歳の若さでした。言葉に詰まり、僕は黙ってお茶を口に運びました。
しばらくの沈黙の後、彼女はゆっくりと続けました。
「子供がいるんです。卒業式まで、生きたいんです」
「母親として、卒業式のその日、子どもの姿を見届けたいんです」
その時は9月。余命3ヶ月とされていた彼女に残された時間は、せいぜい年末まで。
でも彼女は、春まで──卒業式まで生きる、と言ったのです。
子どものために、という強い願い。
その想いが、何かを変えたのだと思います。そして本当に──奇跡が起きました。
彼女は春まで生き抜き、卒業式に出席することができたのです。
こうした出来事は、医学的にも実証されています。希望を持って生きる人ほど、がんと闘う「ナチュラルキラー細胞」が活性化するという研究があるのです。
希望は、体の中にある見えない三つのシステム、すなわち、内分泌・自律神経・免疫、それらを活性化させると言われています。彼女の体の中でも、希望がそのすべてを目覚めさせていたのかもしれません。
そして、さらに不思議なことが起こりました。彼女には二人のお子さんがいました。
上の子は高校3年生、下の子は高校2年生。僕たちスタッフは、せめて上の子の卒業式までは生きてほしいと願っていました。しかし彼女は、余命3ヶ月と告げられてから、なんと1年8ヶ月も生きたのです。
そして、二人のお子さん、両方の卒業式に出席することができました。
それから1ヶ月後、静かに息を引き取りました。
彼女が亡くなったあと、娘さんが僕のもとを訪ねてくれました。娘さんが語ってくれた話は、思わず息をのむようなものでした。
僕たち医師は、彼女の「子供のために生きたい」という強い想いを尊重し、体調が許す限り、外出の許可を出していました。娘さんは、こう言ってくれました。
「母は、家に帰ってくるたびに、私たちにお弁当を作ってくれました」
最後の帰宅のとき、彼女はすでに、立つことすらままならない状態でした。
僕たちは言いました。
「じゃあ、家の空気だけ吸ったら、すぐに戻ってきてくださいね」
でもその日、彼女は家で台所に立ちました。立てるはずのない体で、最後の力を振り絞って。子どもたちのために、台所に立って、お弁当を作ったのです。
娘さんはそのときのことを、涙をこらえながら語ってくれました。
「お母さんが最後に作ってくれたお弁当は、おむすびでした」
「そのおむすびを持って、私は学校に行きました」
「久しぶりのお弁当が、本当に嬉しくて、嬉しくて……」
「でも、昼休みにお弁当を広げたとき、なかなか手がつけられなかったんです」
「嬉しいのに、切なくて、胸がいっぱいになって、涙が止まらなかった」
彼女の人生は、42年という決して長くはないものでした。
でも、命は長さではありません。
彼女は、たったひとつの命で、精一杯生き抜きました。そして、子どもたちに「生きるということ」を、確かにバトンタッチしていったのです。
卒業式のあの日、母の姿を見た子どもたちが感じた愛。
おむすびに込められた想いは、きっとこれからも消えることなく、子どもたちの中で生き続けていくのでしょう。
「命を精一杯生きる」言葉では簡単に言えますが、実行するためには・・・
自分に素直に生きること!悔いのないように生きること!相手中心主義で生きること! そんなフレーズが浮かんできました!
byありがとうマン