地元のシンボル、
水車を再び動かす―
断られたところから
始まった挑戦
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東近江市伊庭町、能登川水車とカヌーランド。
かつて「水車の町」のシンボルとして親しまれたその大水車は、老朽化により2020年から稼働を停止。
「もう一度、あの水車を回したい」
一代目、二代目へと受け継がれてきた歴史を未来につなぐ、三代目となる能登川水車。
この能登川水車再生プロジェクトを担ったのが、
地元・東近江市で100年にわたり地域のものづくりを
支えてきた大兼工務店です。
行政、そして長野の水車職人・堀川工房とともに、歴史を受け継ぎながら未来へつなぐ工事に挑みました。
他に類を見ない再生プロジェクト。その道のりと完成に込めた想いを、関わったメンバーが語ります。
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宮本(大兼工務店):
もともと能登川は、水車の町として知られています。我々も、長年にわたって能登川各地にある水車のメンテナンスを担当してきました。ただ、時代とともに動かなくなってしまった水車も少なくありませんでした。「この風景が失われていくのは寂しいな」と感じていたんです。
高橋(大兼工務店 購買):
そうですね。今回のカヌーランドの水車も約5年間止まったままでした。
宮本(大兼工務店):
そんな中、国スポの開催にあわせて、能登川カヌーランドの水車を新築する計画が持ち上がりました。東近江市さんから見積のご依頼をいただき、今回、私たちが担当させていただくことになりました。長野県安曇野で水車職人をされている堀川工房さんとは、社内スタッフのつながりをきっかけにご縁が広がり、今回の協力へとつながりました。
脇(大兼工務店 積算):
ただ、実は最初に堀川さんにお願いしたときは、一度お断りされたんですよね。
堀川(堀川工房):
正直に申し上げると、私は、建設業界特有の「ピラミッド構造」や「支配的な関係」に疑問を持っていました。元請けが上で、下請けは下。コストと責任だけを押し付けられるような関係性なら、リスクが大きすぎる。 当時、10年前にも一度見た現場でしたが、県外業者である私たちが、確実な信頼なしに受けるには「身の丈を超えている」と判断しました。だから最初は、お断りしたんです。
宮本(大兼工務店):
あの時は衝撃でしたね。でも、堀川さんのおっしゃる通りだった。私たちの中に、どこか「引き受けてもらわないと困る」という傲慢さがあったのだと思います。
だから、私と脇の二人で、堀川さんのいる長野の安曇野まで車を飛ばしました。片道4時間。どうしても会って、目を見て話したかった。
宮本(大兼工務店):
そこで堀川さんとお父様にお会いして、膝を突き合わせて5時間語り合いましたよね。建設業の慣習とか利益とか、そんなことじゃない。「モノづくりって、もっと魂を入れるもん違うんか?」と。 「やってくれ」じゃなくて「一緒にやってほしい」。
その帰りに食べた蕎麦屋で、脇と二人で誓ったんです。「これまでの考え方を全部変えよう。堀川さんが最高に仕事しやすい環境を作るのが、俺たちの役割だ」と。
脇(大兼工務店 積算):
そうですね。堀川工房さんとお会いして、だいかねがどうあるべきかを改めて学ばせていただきました。
堀川(堀川工房):
その「思い」だけですね。小さい会社が100年続く企業と付き合うには、「思い」が通じ合うかどうかしかない。だいかねさんが真正面から私の懸念を受け止め、「一緒にやる」と言ってくれた。あの時、だいかねさんとなら、いい仕事ができると確信しました。

高橋(大兼工務店 購買):
カヌーランドの水車は今回で3代目となります。3代目は何としても回り続けなければならない。プロジェクトを進めるにあたり3代目への想いを堀川さんと話し合いました。
吉岡(大兼工務店 現場監督):
正直、最初は水車のことなんて何も分かりませんでした。でも、堀川さんは「水車のプロ」。最初の打ち合わせに3Dプリンタで作った模型を持ってこられた時は、現場の全員が度肝を抜かれましたよ。「本物の水車のプロだ」って。
堀川(堀川工房):
設計図はありましたが、そのまま作れば「作った責任」だけで終わってしまう。でも、図面には明らかに解決すべき課題が埋まっていました。 今回で3代目になりますが、1代目、2代目がなぜ壊れたのか。過去の制作者がどこで苦労したのか。壊れ方そのものが、私に「次はこうすべきだ」と教えてくれていたんです。一代目、二代目の水車、そしてそれを作られた過去の制作者の方々には、心から感謝しています。その仕事があったからこそ、三代目は、より良い形へと進化させることができたのだと思っています。
吉岡(大兼工務店 現場監督):
普通なら「前の業者が悪い」となりがちですが、堀川さんは違う。「過去の制作者にも敬意を払い、その教訓を活かす」というスタンスでしたね。
具体的には、一番負荷がかかる水車軸の構造を一新しました。以前は丸い軸に円盤を溶接していたため、力が集中してちぎれていた。今回は水車軸(シャフト)を丸から角形状に変更し、補強リブを加え円盤とシャフトの破断が生じないように改良しました。さらにメンテナンスで構造部材(木部)を部分的に交換できるよう部材の細分化をしました。
堀川(堀川工房):
構造を見直し、強度を高めるとその分コストが跳ね上がる。でも予算は限られている。さらに、水車の主要部品が国内在庫がなく、発注してから1年弱かかるということが判明しました。「国スポまでに間に合わせる」「決して壊れない水車を作り上げる」「予算内で納める」。この難問パズルを解くために、設計変更の提案や、水車自体の新たな工法の検討を繰り返しました。
宮本(大兼工務店):
その提案を通すために、我々も行政や設計事務所と必死に交渉しましたよ。「いいモノを作るためには、これが必要なんだ」と。結果、みんながチームになれた。

吉岡(大兼工務店 現場監督):
現場が始まってからは、もう怒涛でしたね。特に苦労したのは?
堀川(堀川工房):
現場入りしたのが6月で梅雨の時期でした。雨が降ると部材は濡れ、現場も止まる。職人さんは全員長野県から来ているため、滞在費もかさんでしまう。特に現場の安全基準では、60才以上の熟練の水車職人全員が高所作業ができないという致命的な条件でのスタートとなりました。
宮本(大兼工務店):
あのデカい水車の上の方を、ベテランが触れないというのは痛かったですね。
堀川(堀川工房):
ええ。よって従来の水車の組立工法をガラッと変えました。熟練の技を持つ職人は地上で部材を加工し、高所での組み上げは、若い鳶職人さんたちに指示を出して組んでもらう。
まさに「知恵」と「体力」の融合チームです。吉岡さんが現場の段取りを完璧にこなしてくれたおかげで、パズルのピースがハマるように進んでいきました。
吉岡(大兼工務店 現場監督):
堀川さんに作成していただいた「施工要領書」が完璧すぎたんですよ(笑)。普通、職人さんはあんな緻密な図面描かないし、あれがあったからこそ、我々も迷わず動けました。

完成して、水車が回り出した瞬間はいかがでしたか?
吉岡(大兼工務店 現場監督):
「最高」の一言です。報われたな、と。 完成した時、堀川さんが「みんなで写真撮りましょう」と言ってくれて、水車の前で並んだ時のあの空気。仕事が終わって「寂しい」と思える現場なんて、そうそうないですよ。
宮本(大兼工務店):
地域の方々の反応もすごかったですね。「水車、動いたな」「だいかねさんがやったんやな」と声をかけられる。
ある地元の方が教えてくれたんです。「俺があそこで奥さんにプロポーズしたんや」って。止まっていた水車が動いたことで、その人の思い出もまた、鮮やかに動き出した。
モノを作るって、こういうことなんやなと。
堀川(堀川工房):
私は、自分が作った水車が「誰が作ったか」なんて忘れられるくらい、当たり前にそこにある風景になればいいと思っています。
静かに回って、地域の思い出の一部になる。そのために、これからは裏方としてひたすらメンテナンスを続けます。「終わりは始まり」ですから。
宮本(大兼工務店):
だいかねとしても、この現場で「共に学び、共に成長し、共に勝つ」という精神を改めて学びました。
100年企業の看板に恥じない、いや、次の100年を作るための「魂」を注入してもらったプロジェクトでしたね。