D-time

Dタイム

ありがとうマンが贈る 
〜心に残るありがとう〜 話

2025.12.03

「母の気持ちを追いかけて」

先日、 当社の教育研修後の社員の感想文に、こんなことが書いてあった。「自分中心で物事を考え行動しているよりも、相手中心で物事を考え行動してみたら、良き結果・成果をつかむことができた」と。
深く、そして本質を貫いた感想文でした。そんな時、ふと思い出したエピソードがありました。深く、本質を観てください。皆さんにシェアさせていただきます。では、始まり、始まり・・・。

「母の気持ちを追いかけて」

 中学2年生の夏から、私は病気で一年間も入院しました。退院して間もなく高校受験があり、高校生になると下宿生活が始まりました。
高校を卒業して就職し、田舎を飛び出して会社の寮に入りました。
そのまま結婚し、嫁ぎ先は遠く、しかも厳格な家だったので、実家にはほとんど帰れませんでした。
けれど、不思議と「帰りたい」と思ったことはあまりありません。どんなに辛くても、実家に戻ろうと考えたことはなかったのです。
14歳の頃から、私はほとんど家にいない娘でした。携帯電話もない時代。なのに不思議と寂しさを感じたことはなく、ホームシックになったこともありません。むしろ、どの時期も楽しく過ごしていました。
高校時代は週に一度くらい電話をしたような記憶がありますが、就職してからは家に電話をすることもほとんどありませんでした。
「便りがないのが元気な知らせ」
きっと家族もそう思ってくれていたでしょう。特に母はサッパリとした人で…。
涙もろくてお人好しな父に比べて、母は淡々とした人に見えていました。家や家族が嫌いだったわけではありません。大好きで大切な存在でした。
だから、連絡をしなくても心は繋がっていると信じていたのです。
今思えば、なんと自分勝手だったのでしょう。
母が一度だけ、会社に電話をしてきたことがありました。
当時の私は彼氏がいて、毎晩のように遊びに出かけていたため、寮に電話をしても捕まらず、母はやむを得ず職場に直接電話をかけてきたのです。
内容は「なるべく近いうちに一度帰ってきてほしい。あなたの写真を撮りたい」というものでした。
母が私に頼み事をするのはとても珍しく、しかも強引に迫ってきたことはほとんどありませんでした。驚いたのを覚えています。
私の田舎は雪深い地域で、成人式は夏に行われました。そのため私は振袖を着ていませんでした。
どうしても振袖姿の写真が欲しい――母はそう言ったのです。
私は23歳になっていました。
久しぶりに実家へ帰ると、すでに母が見立てて選んでいた赤地に黒模様の振袖を着せられ、写真館に連れて行かれました。
化粧を施し、髪を上げ、振袖を着付けられ…。撮影中、母はずっと嬉しそうに、まるで子供のようにはしゃいでいました。
出来上がった写真を見て、母は何度も繰り返し「私の宝物」と言いました。

「便りがないのが元気な知らせ」・・・
よく使う、よく聞くフレーズですよね。
家族が離れて住んでいると、誰もがそう思うでしょうね。

家族だから大丈夫・・・なんて強がらなくてもいいかもしれないですね。お互い会いたいって思ったら会いにいくべし!と感じました。
そして、自分の価値観だけでなく、相手の気持ちに寄り添うことを優先し行動することが大切なのでしょうね。
皆さん、年末年始休暇を健やかに過ごしてくださいませ。

byありがとうマン

Contact

お問合せ

■ 本社事業部はこちら

0120-072-834

月〜金 9:00-18:00 定休:土日祝

■ 住宅事業部 だいかねの家 はこちら

0120-15-4939

9:00-18:00